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正応年中(1288年頃)長栄阿闍利の草案、当時は鷲羽山の山麓に寺があり江戸時代に焼失、
現在の場所に移築、背後に天王山、本堂は塩飽大工による。
瀬戸内の島々には塩飽水軍の神社仏閣の建造物が多く見られる。
代表作といわれる。本堂三間半四面 裏1間
本尊 聖徳太子作
脇物 不動明王 愛染明王 二尊宝暦5年作
毘沙門天1体 弘法大師1体 持仏堂本尊 薬師如来 阿弥陀如来 地蔵菩薩 涅槃像 両界曼陀羅2幅
他の建造物 釣屋 薬医門 鎮守堂 地蔵堂 庫裏 信徒会館
現住職18代
住職: 津田 隆英 副住職: 津田 隆章 |
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